こんにちは!ラーメンインタビュアーの岡崎美玖です。
今回ご紹介するのは、「お笑い芸人」と「ラーメン店主」の二足のわらじを履きこなすスーパー店主の手がける、超濃厚な甲殻類味噌ラーメン専門店。
店主を務めるのは、アゴモノマネで有名なお笑い芸人「HEY!たくちゃん」氏。今回の独占インタビューは、前編・後編と2回に分けて掲載していきます!
タレント・清水ミチコさんの著書の中で「夢を叶える人は、10代のうちから走っている」という言葉に衝撃を受け、学生鞄を片手にネタ見せやオーディションに向かう日々を送るなど、18歳の頃からお笑いの道を歩んできたというHEY!たくちゃん氏。
そんな中、なぜラーメン業界に足を踏み入れることになったのか。
独占インタビュー前編では、プレミアムブランドとして新展開した「オニソバフジヤ 〜プレミアム〜」のオープンの秘話についてインタビューしてきました。後編では、HEY!たくちゃん氏がお笑い芸人からラーメン店主に至る経緯、率直な今の思いなど、店主の素顔に迫っていきます!
【独占①】目指したいのは”世界”。お笑いを極め切ったからこそ見えたもの
ーー早速ですが、なぜお笑いの道にいながらラーメン職人に進もうと思ったのですか?
「元々は、深夜番組でラーメンレポーターとして活動していたのがラーメンとの出会いです。
2011年の東日本大震災が起きて、自分の核である「お笑い」ができなくなった時、他に何ができるのだろう?と深く考えた時期がありました。
もしもう一度このようなピンチが起きた時、”笑い”ではなく”食”を届けて誰かを笑顔にしたいと思ったんです。その食が、僕にとってはラーメンだなと。
2007年から2009年にかけて、テレビにも出演することも多かったのですが、ある時「ここまでかもしれない」という限界が見えてしまって。
やるなら相当レベルの高い目標設定をしなければ、と考えた末「ラーメン×お笑い」という、タレントとしての自分にしかないオンリーワンなポジションを開こうと決めました。
自分がお笑いが好きなのか嫌いなのかを知るために、2年間で1,000ステージほど行いました。そして29歳の時に見えたのが、ぶっちゃけ「どこかであまり好きじゃなかったのかもしれない」ということでした。これを50歳までやりたいなとは思えなくて、世界を見据えた時にこのままでは無理だと思ったんです。
僕らの一番の武器って若さだと思っていて、自分の世代では行けない世界に行きたいと思っていました。
実際にニューヨークに行ってラーメンを作った時にもとてもやり甲斐を感じて、ラーメン作りに力を入れて、お笑いとラーメンを掛け合わせたこの道でいこうと決めました。」
(こちらがニューヨークにて行われた、世界最大のフードフェスティバルで提供されたロブスターらぁ麺(1000円)。ロブスターは半尾丸ごとバター焼きにしたものがトッピングされます)
【独占②】「”お笑いだけで生きていく”のは今日で終わり」1人落ち込んだオープンの前夜
ーー新たな道を切り開くことに、戸惑いや不安などはなかったのですか?
「もちろんありました。2012年9月28日に「鬼そば藤谷」をオープンしたのですが、その前夜に「お笑いだけでやっていくのはここまでだ」と、凄く自分の中で落ち込みましたね。いよいよ一人の道に進んでいくなと。」
ーー2011年に東京ラーメンショーに出場されて、見事優勝された経歴をお持ちかと思うのですが、その時はお店はまだなかったてことですか!?
「当時はお店はなかったです。修業先でこのイベントで結果が出なければ東京にいるのをやめよう、と思っていました。
優勝して、物件会社から「そんなに腕があるならやってみないか」と声をかけてもらえたんです。最初はお金もないので、と断ったのですが、「お店を貸すよ」とまで言って頂けて。そしてこの5階の「鬼そば藤谷」からスタートしました。
…図々しく「渋谷のセンター街でやる」ということは絶対に譲りませんでしたが(笑)
でも、「一切妥協しなくていいところ」って誰しもあると思うんです。「ここだけは」ということって大切なことだと思っていて。失敗することもあったとしても、僕は曲げない頑固さはどこかにあっていいと思うんですよね。」
【独占③】”渋谷のセンター街”への想い
ーー先ほどの「渋谷のセンター街」というワードもありましたが、お店をオープンするにあたり、何か自分の中で決めていたことなどあったのですか?
「1つ目は、自分がお店に立つことです。2つ目は、絶対に渋谷のセンター街でお店を開くというのを決めていました。
「鬼そば藤谷」を開店して今8年目なのですが、渋谷は凄く人間を修行させる場所だなと強く感じます。
10年続いたタレントのお店はまだいないということもあり、競争の激しいこの渋谷のセンター街という地で、まずは10年を目指していきたいですね。
ーー激戦区に居るからこそ感じる、”生き残る店”とはどんなお店ですか?
「①時代をつかんでいて、人が何を求めているか、②お値段以上のお得さがあるかをきちんと把握しているお店が残っているなという印象です。
例えば、渋谷に「焼肉ライク」を展開し成功させた、焼肉チェーン「牛角」創業者の西山知義氏は、見ていて凄く勉強になりますね。」
ーー芸能人のプロデュースのお店は、難しいと言われることも多い中で、ラーメン業界からも一目置かれるまでのお店に成長した秘訣はなんですか?
「実は芸人さんのお店などは実際に食べに行き、研究を重ねていました。
時には林修先生の番組を観て数学的に勉強してみたり…シャープペンシルを30歳になって使うとは思いませんでしたね(笑)原価、給料などの経営学についても、猛勉強しました。
そして飲食店を経営するにあたって心がけているのが、他の飲食店の人も含め、接する時に全員に対して尊敬の念を持つことです。後から入ってこようが、若かろうが関係ないと思っていますね。」
【独占④】実は似ている!?ラーメンとお笑い
ーーお笑い芸人とラーメン職人と2足のわらじを履く中で、何かお笑いでの経験が繋がったことなどありますか?
「ラーメンとお笑いってすごく似てるんですよ。お笑い芸人は日本に55,000人近くいるのに対して、ラーメン店も40,000店舗ほどで比例しているんですよね。
それぞれ個々に味があるのですが、お笑いも基本は、「スタンドマイクがあって喋る」というベースがあって、ラーメンにもタレの塩分があって、そこにスープの旨味が加わっていくという…実際に作っていても、すごく組み立てが似ているなと思っているんですよね。
正統派の漫才で売れた人はMCをやることが多いなと印象があるのですが、それもラーメンに置き換えると同じ感覚があって。なのでまずは塩という透明系のラーメンを極めようと思うきっかけにもなりましたね。基本を極めて、それからどんどん派生していこうと。」
ーー自分の中でのラーメン作りに対するこだわりはありますか?
「このラーメンは親が食べた時に美味しいと思ってもらえるか?ということが最高のこだわりですね。
北海道から上京してきた時によく海産物が送られてきたのですが、父がよく蟹の殻などで出汁をとってスープを炊いてくれていたんですよ。その時に食べたラーメンの味が本当に美味しくて、思い出の味です。
藤谷家の食卓にこのラーメンが出てきた時に、「美味しい」と思ってもらえるかをいつも考えてますね。」
取材後記
前編・後編と2回にわたり独占インタビューを掲載してきました。
「鬼そば藤谷」「オニソバフジヤ〜プレミアム〜」の経営の裏側に込められた想いを知りながら食べる絶品蟹味噌らぁ麺は、これまでの約10年の歴史がギュッと濃縮されたスープなんだなと思うと、さらに濃厚さに磨きがかかり、美味しく感じられました。
ラーメン1杯1000円はちょっとお高い…!?と思う人も、きっと食べ終わる頃にはむしろこれで1000円なの!?と思うほどの満足度の高さです。
あっさり系がお好きな方は5階の「鬼そば藤谷」、こってり系がお好きな方は3階の「オニソバフジヤ〜プレミアム〜」へ。もちろんハシゴして行くのもおすすめです!是非ご賞味あれ。
HEY!たくちゃん氏のTwitterはこちら
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