独占インタビュー

「天空落とし」を世に知らしめた、伝説のラーメン職人の描く未来

こんにちは!ラーメンインタビュアー岡崎美玖です。

1999年に神奈川県大和市高座渋谷で創業し、惜しまれつつも2022年2月13日でいったん日本での幕を下ろし現在はアメリカ・ニューヨークのラーメンダイニング『NAKAMURA』のみでの営業に専念することとなった「中村屋」。

今回は、日本のラーメン界に数々の伝説を残した中村栄利店主の特別インタビューをお届けします。

業界を革新し続けてきたレジェンドは日本で営業を一旦終え何を思うのか?内に秘めた思いに密着しました。

中村店主の代名詞「天空落とし」

「中村屋海老名での最後の麺上げは生前葬の感覚でした」

ーー1999年に高座渋谷でオープンし、日本での営業に一旦幕を閉じることとなりますが現在の心境はどうですか?

「自分がニューヨークから帰ってきて、隔離があけた2月5日からはずっと麺上げに関してノンストップで1人で行っていました。

ファンの方々が『久しぶりに中村栄利が作るラーメンを食べるなあ』と、真剣勝負じゃないですけど、最後は感覚でいうと生前葬をやっているなと思って。

自分はまだ別にラーメン職人で、これからもラーメン職人で生きている。でも、これから軸足を本格的にアメリカに移していくということで、日本での中村屋・中村栄利というラーメン職人が一旦国から出る、というのが本格的になるわけで、この味が死んじゃう前に会っておこうっていう、生前葬ってこんな感覚なんだろうなって思いましたね(笑)」

閉店告知は「ビジネスとしてしなかった」

ーー最終日は約200人待ち、3時間半待ったというファンもいたほどと聞きました。

「凄くいろんな方が会いに来てくださったので、もう本当に嬉しくて。本当はひっそりと終えたかったんですよ。

味さえしっかりと出して、美味しいものを食べて終われるのが本望だなあと思っていたんですけど、こんなに沢山の人にラーメンを提供できたっていうのが、凄く嬉しかったですね。

自分って結構涙もろいんですよ。もうスイッチ入っちゃうとちょっとも言葉が出てこないくらい泣き虫で…笑
でも、そんな想いに浸れる事もなく最終日まで迎えられたので良かったなと思って(笑)

料理人が一つのテーブルを囲んで四方八方から手を出してる舞台のなかで天空落としをしてるのはもう最後だったし、向こう(お客様)もこういったエンターテイメントを味わえるのは最後。

味だけの提供じゃなくて中村屋っていう体験をお客様にして頂くっていうことが最後に出来たかなと思います。

ーー閉店告知については一か月くらい前に私も知って、、、それも突然で、かなりギリギリでしたよね?

ビジネスとしてしなかったんです。休業するから最後ひと花火上げようぜっていうつもりも全然なく、スタッフたちみんな合意していたのは「あ、いつの間にか終わっていたけど、あそこ美味しかったよね」ぐらいにしておきたいなと思ったんですけど…嬉しい誤算で(笑)

あの時ずっと自分のFacebookに中村屋の看板が出てきて、めちゃめちゃ愛されていたな…と。あとは何よりも自分がもうアメリカに行って12年経ちますけど、それでもずっと中村屋海老名を守り続けてきたスタッフの功績の方がむしろ大きいと思うんですよ。

だから最後に、自分が帰ってきて一番大トリである麺上げを最後まで自分がしているのは、自分からしてみれば本心で言うと滑稽だなと思うんです。本当は彼らが守った中村屋を彼ら自身の手で終わらせる方が自分として気持ちいい。

美味しい所を持って行っちゃう訳ですよ。天空落としなんかし始めちゃったら。

それでも最後、誰も手出さずにみんな一心に中村屋のエンターテイメントを最後味わって頂きたいっていう気持ち1つにいたっていうのは神がかっていたなと。

ラーメンに神がいるなら絶対に降りていたなって思います。

『中村屋』の看板メニュー「特中村屋」¥1,150

疲労骨折をしながらもやり遂げた最終日の秘話

「実は、最終日にかけて皆の体力がわりと限界で、あともう一日持つかな…っていう状態だったんですよ。

自分も整体に2日に1回行っていたような感じだったので…指も腫れていってしまって、疲労骨折をし始めて…それくらいやり切った感があるので、正直あんまり未練はないんですよね。

絶対にもう一度中村屋をスタートしたい!って言うのは特に思っていなくて。」

ーー一応休業という形にはしているけど、という意味でしょうか?

「そうだね。期待を持たせたいというわけではなくて、ノープランだから(笑)

一旦看板を実家に返納して、返納したらそこからまた歴史が始まるわけで、御神輿と一緒なんですよ。

お祭りとかって、御神輿をお寺や神社から出して、みんな担いでお祭りをして返納するじゃないですか。
なので、またお祭りをやりたくなったら、僕は中村屋の看板を持ち出してやります。

世間的には僕が「神輿」と思われているかもしれないですけど、実は僕はこの看板が神輿だと思っています。

「出したものの半分は残飯だった」全てを経験した創業当時を振り返って今思うこと

ーー創業したての頃は、お客さんが中々集まらなかった時期もあったと聞いていますが、当初を振り返ってみるといかがですか?

全部味わったんですよ。中村屋をオープンする時に、アメリカから帰りたてでラーメン屋さんをオープンして、どこかの会社にも勤めことがなく、どこかのラーメン屋さんで修業したこともなく、開業当初は家族にとても心配されていたんです。

うちの家族は商売をしていた家系なので商売というものが何ぞやっていうのは痛いほどよく知っていて。

ただとにかく自分はラーメンの味づくりや、オープンすることに必死で、まずは「お客様に知ってもらわなくてはいけない」というところまで根回しするスキルもなく…父がタウンワーク(地元紙)に告知を打ってくれたんです。でも結果的にオープン日を守れなくて。とはいえ告知は打ってしまっていて、父が気を遣ってくれてもう一週打ってくれたんですよ。」

ーーそんなことが・・!!

「おかげで初めの一週間ドカーン!と来て、その時も300人くらい並んだんです。

でも、そのときめちゃめちゃまずい味を出して…(笑)

「こんなもんなのかな」と思ったくらい、残飯がどれくらいあったか。出したものが半分くらいは戻ってきちゃったかなってくらいだったんですよね。

それから一気に「ここクソマズい」っていう声が広まってしまい…言ってみれば最初は大失敗だったんです。」

ー今となっては信じられないです・・・そもそもラーメン屋を始めようと思ったきっかけは?

「大学時代、アメリカのサンディエゴに留学していた時に、サーフィンばっかりやっていて、海から上がった時に身体を温められるようにスープものの料理を作ることが多かったんです。

それでラーメンを作ってサーフィン仲間に振舞ったら「めちゃめちゃ美味しい。凄く料理上手だね」と言われていて、その成功体験があったので、帰国してラーメン屋さんをやって手に職を付けて、アメリカにまた戻ろうっていうのがラーメン屋さんを始める一番のきっかけです。

それで日本に帰ってきて、運送業者をやりながらラーメンの試作を繰り返していて、それで家族に食べてもらったりとかしてああじゃないこうじゃないって、、でもそのときに出てたラーメンってもう多分そこらへんのラーメン屋さんよりも「美味い!」って自負してたところがあるんです。

でも、実際に家族に振舞っていた時の量っていうのは、多くて20食くらいしか作ってないわけで、それを単純計算で10倍20倍にしちゃったから、クソまずいラーメンができた訳で。

スケールさせる技術が自分になくて、1週間後くらいからどんどんどんどん客足が遠のいていって、コテンパンにやられたという結果が十分に認識できるくらいのものになったんです(笑)

それまではアルバイトさんを5人~7人くらい雇わせてもらってたんですけど、1週間後くらいから半分にして、最終的に、「ごめんなさい」って頭下げて最後残ったのは2人でしたね。」

ーーそこからの逆転劇って何がきっかけでギアが一気に上がったのですか?とにかく独学で研究ですか?

「ラーメン屋さんオープンした人で共感できる人たち結構いると思うんですけど、疲れていると、塩を欲しているからしょっぱくなるんですよ。

それで、疲れているからもう舌がバカになっていて、これでいけるかなって思って食べてる味がもう全くいつも作っている味とは違ったりもするんですよね。

試作しててあまりゆとりを持たずにオープンさせる人って割りとそれを経験してると思うんですよ。立ってても舌はおかしいから、1週間そこからお店閉めたんです。お店に戻ってオープン当初の提供してたラーメンを食べたら、「何これっ!」って思うぐらい、しょっぱくて(笑)醤油とか塩を舐めてるようなラーメンだなっていうのがそれだったんです。

ー閉めた1週間で正常化したんですね、きっと。ご自身の中で。舌も味覚も。

「そうですね!だから普通のニュートラルの状態に戻ったっていうので、そこから、一番のうちの最低記録が1日の営業でお客様4人っていう日だったんですけど、「今日は多かったね~20人も来たね~」みたいな会話です。」

ーー信じられないですね、もう今からすると(笑)

「まぁまぁまぁ(笑)だからもう全部経験したな、と思ってますね。

9月にオープンして、9、10月反省して、11月くらいから試作してた時の味を召し上がってもらって、「あれ?あそこなんか店変わった?」みたいな、ほんとのラーメン好きの方々が、タウンニュースであった悪夢のことを知らない人は、来ると、まずいっていう噂を知らずに来てる訳だから、それで食べて、「あれ、ここちょっとすげぇめちゃめちゃ若いやつが作ってて、めちゃめちゃ若いやつが作ってなさそうな奇抜な新しい感じで、誰これ」みたいな感じになったんですよね(笑)

そして12月くらいになって、忘れもしない、あのクリスマス前くらいに、ちょっと人が並んだんです。中が満席になって。

そして人が並び始めて、自分にとっての最高のクリスマスプレゼントでした(笑)」

とある大学生が命名した「天空落とし」

ー中村さんといえば、「天空落とし」と名付けられた独特の湯切りも印象的ですよね。

「湯切りが派手になったのはほんと徐々にだと思うんですよね。「これが天空落としだァァァ!」っていう思い入れでやってないですから(笑)」

ーーなんと!あくまでメディアがつけたと(笑)

「そうそうそう!(笑)どこかの大学生が、『天空落とし』っていうことを言い始めたらしく…(笑)

僕がはじめてラジオ番組に出させてもらったときに、MCの方が「天空落としについてお聞きしたいんですけど」って言われて、「はい?天空落としって何ですか?」みたいな(笑)

今となってはほんとにその人と会いたいって思います(笑)

パフォーマンスとしてしてるつもりだったら多分僕途中で恥ずかしくなってやめたかもしれないです。

よく「天空落としなんてお湯は切れてねえんだよ、あんなのただのパフォーマンスでお湯なんてのは放置してるのが一番切れるんだよ」言われるのですが、それで言ってみればごもっともなんですよね。放置してればお湯が切れるっていうのは、天空落としの理論にも入ってることなんですよ。

いかに溜められるかが重要で、天空落としっていうのは、落として切るというよりも、引いて切るんですよ。だから、勢いよくカァァァって。」

ーーーたしかにたしかに!パフォーマンスの説もありながらもきちんと理に叶っているということですね。

「そうですね、そのつもりです。ただ今となってはもうどっちでもいいんですよね(笑)

『天空落とし』というムーブメントでお客さんに知ってもらえるきっかけができたのだったら、僕は天空落とししてて良かったなって思いますし。

細かいことを言ったら色々あるんですよほんとに。うちって細麺なので、佐野さん(志那そばや店主の故・佐野実氏)からも「中村、あんなことやったら麺が傷ついて、のどごしとか悪くなんねえのか」と言われたんですけど、違うんですよ。麺は傷つけて味を吸わせるものなんですよ

ちぢれ麺とかあるじゃないですか、とかいう話も色々するのですが…それを言ったところで説得力ないんですよね、パフォーマンスっぽく見えてる時点で(笑)。」

(「天空落としやりにきました!」みたいな子もやっぱいるわけですよ。」と話す中村店主。)

「弟子」という言葉を使わないことにこだわりを持つ理由

ーー中村屋さんってワンチームのような、一つの家族じゃないですけど、中村屋出身の方を「卒業生」や「弟子」という言い方をされないと思っていて…。ご自身の中で何か思っているものとかあるのでしょうか?

「なんか自分の中で弟子ってちょっと偉そうなもので、上下関係が見えちゃう言葉だなと思ってるんですよ。

卒業生っていうのもおこがましいくらい、自分の中ではその子たちがいたから今の中村屋があるんですよ。

中村屋っていうのは、中村栄利がきっかけを作ったかもしれないけど、でもみんなで中村屋作ってっただけで、自分が味作り担当で湯切りなどもしているけれどそのほかのプロフェッショナルが中村屋にはいたから、中村屋がすごくいい感じに大きくなっていったんですよね。

そこからその手伝いをしてた方が独立してもその子の実力なんですよ。その子の実力を使って、中村屋をもっともっといいものにしていけたので、その人は弟子じゃなく、中村屋に協力してくれたとても大事なメンバーなんですよね。

「やったもん勝ち。」目指すのはメタバース空間でのラーメン屋

ーー今は日本でいったん一つの幕を閉じましたが、NYに本格的に軸足を移して、直近でこんなことやりたいなとか、注目してることとかものとかって中村さんの中でありますか

「コロナ以降でも、世の中が変わらずにずっと変わり続けているなと思う部分にどのようにラーメンを入れ込んでいけるかなっていうのはよく考えることがあるんです。

アメリカにいると、ものの捉え方っていうのが千差万別で、自由なんですよ。

以前、「東京ゲームショー」で”湯切りの””っていう湯切りのゲームを神奈川工科大学の人に作ってもらったんです。作ってもらったって僕が頼んでじゃなくて、彼らは勝手にやってくださったんですけど(笑)、天空落としにはゲームになるのではないか?と。

最終的に、「じゃあ中村さん、身体全体にセンサーをつけて、モーションキャプチャーで撮らせてください」って言われて、やったんですよ。それで画面を見せてもらって、画面の中でもろ自分が天空落とししている自分の姿を見たときに「あれ、これメタバースだな」って思ったんですよね。

仮想空間で飲食って難しいなって思ってたんですけど、天空落としを仮想空間でやったらラーメン屋ってできるな、と思って、そういったものを今どんどん進めていこうと思っています。

より未来的に考えていくと、人間が栄養をサプリメントなどで摂りながら、その香りや食事の心地よさなどを仮想空間でも得られたら、すごい産業になると思うんですよ。だから、例えば、「いってらっしゃい!」で知られる和牛マフィアみたいに(笑)ああいったものも、メタバースでは十分に飲食業ができる。それを見ている人たちは皆次世代の飲食業に進んでいける、そういったことを一つのプロジェクトとして目論んでます。」

ーーすごいですね、なんかもうラーメン業界をもうほんと飛び越して…

「って今は思うじゃないですか。でも全然飛び越してないんですよそれって(笑)

「中村屋エッセンス」をやっていたときと同じ感覚なんですけど、ラーメンに懐石ができたんだってっていうのも、単純に、どこかの要素をラーメンに入れ込んだだけであって要は再構築の料理なんです。

一応ラーメンの要素はあるけどもう一度ばらしたときに、フレンチにしてラーメンにしました、とか、アイスクリームにしてラーメンにしましたとかっていうのを真っ向からやると、「あー気持ち悪い」って思われることを、一回崩すことで気持ち悪くないものができあがるんです。それと、今のメタバースのラーメンの世界は全く通ずるところで、イメージをつけられる者同士でやっていったら、「なんか最近やたらと仮想空間にラーメン屋できてるけど、どういうこと!?」みたいな世界を目指しています。(笑)」

ーー先駆者がここにいた!ていう未来が見えてきました(笑)

「もうやったもん勝ちだから。

仮想空間でラーメンあったとしても「それはもうラーメンやじゃないよ、それはもう完全にITの技術だから」って言われる可能性はありますけど、それをガチにラーメン屋さんがやる必要はあるんじゃないかって僕は思うんですよね。」

ーーラーメン屋さんにしかできないことも絶対にあると思います。

「そうですね。ラーメン屋さんからみて、面白い世界っていうのを作ってみたいなと思いますね。

・・・かといって現実社会のラーメンを疎かにするつもりは全然なくて、今アメリカでこれからやろうと思っているラーメンは、あまり深くは言えないんですけど、ラーメンとは全く切り口が違ったもので、ラーメン業界として発表していこうと思っているプロダクトは今どんどん進めています。

アメリカから逆輸入される料理、例えば、まぜ麺とかつけ麺もなんであれがラーメンのくくりになっているかっていうと、それだけラーメンって異種格闘技で、おもしろいものなんです。

アメリカに行けば、フォーとかもなんでもラーメンって言われちゃう世界で、もうスープと麺があればラーメンって言っちゃいましょうみたいな風になってきているんです。

だから面白くスープと麺が啜れる文化がより大きくなっていって、世界のエンターテイメントになり、世の中の人々の生活の一部にその面白さが入っていったら、それを死ぬ前に見てみたいなって思ってます。」

死ぬまでに身近にいる人たちをどれだけ喜ばせることができるか

ーー最後に、死ぬまでにやりたいこととかってあるんですか

「日本で中村屋やってたときにすごく感じたのが、やっぱり結構仕事をしてるとそこにぞっこんになるので、割とそのほかが疎かになるんです。

だから家族とか、子育ても結婚生活もエンターテイメントだと思っているので、一番近い方々と楽しみながら、自分がそういった世界観をどんどん作っていって、結果的に身の回りの人たちよりもさらにもっと向こうの人たちまで、楽しめる。というのが理想ですね。

元々ラーメンを作って喜んでもらってた人たちっていうのは、僕のサーフィン仲間であり、日本に帰ってきたら家族であり、そういう人たちを一生懸命喜ばせていたら、もっと広いお客さんに実は楽しんでもらっていたっていうところがあるので、死ぬまでに身近にいる人たちをどんだけ喜ばせることができるかが、歴史上残っている名前の人たちいるわけじゃないですか、何らかの形で。なのでそういう風に名前を残せたら面白いなって思います。」

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