※2023.12 追記…「ミシュランガイド東京2024」ビブグルマンに初掲載!おめでとうございます!
こんにちは!ラーメンインタビュアーの岡崎美玖です。
今回ご紹介するのは、東京・祐天寺に店を構える”美しい麺線”に惚れ惚れすること間違いなし!な醤油ラーメンの名店『Ramen Break Beats』。
2022年にオープンするや否や、ラーメン好きの話題を席巻。現在は行列のため記帳制を導入し、新宿御苑前に2号店『Ramen Afro Beats』もオープン。
瞬く間に人気店の仲間入りとなった同店ですが、その人気の秘密を探るべく、店主の柳瀬拓郎氏に独占インタビューさせて頂きました!
なんと店主はカナダ帰りの元DJという異色の経歴の持ち主。”至極の一杯”が作られた店主のバックボーンに迫ります。
早速ご紹介していきましょう!
本記事は『Ramen Break Beats』柳瀬店主へのインタビューをもとに執筆しております。
らぁ麺の味づくりの詳細については、レッツエンジョイ東京さんにて連載中のコラム「私のイチ推し」からお読み頂けます!ぜひ合わせてご覧ください。
【独占1】『柴崎亭』『饗くろ㐂』…影響を受けた名店のラーメンの数々
ーー麺線にこだわるに至った想いを聞かせてください。
「『見た目が綺麗なラーメンを作りたい』というのが根底にありました。
料理をずっとやっていたので、見た目が綺麗なものを”ラーメン”でも実現できないかと考えていたのですが、カナダにいるときに『柴崎亭』さんをInstagramで知って、とても綺麗なラーメンだなと思って、ずっと行ってみたいなと思っていたんですよね。
日本に帰ることになって、毎週限定ラーメンを食べに行っていました。通っていたら少しだけ顔を覚えてもらえるようになって、その流れで見様見真似でやってみたりもしました。
お店をオープンして、『柴崎亭』店主さんが来てくださって、『全然麺線綺麗じゃないな』と言われて(笑)
もっと綺麗にできる方法があるよ、とアドバイス頂いて、そこから1日『柴崎亭』さんに練習をしに行かせて頂きました。
柴崎亭10周年の時に、オープンしますっていうのを挨拶したんです。そうしたら柴崎さんに2週間後に来て頂けたんですよ。『2週間後に行くよ』と言われてはいたのですが、まさか本当に来るとは思ってもいなくて(笑)」
食べた後に、そこまで満足してる感じではなかったので、”何がいけなかったのかな…”と思いながらその日を終えると、次の日にも柴崎さんが来てくださったんですよ。休憩中に。
『もっと良くなると思うから』っていうので、大きな鍋と平ざるを持ってきてもらって、お箸でこうやったらいい、というのを教えてくださったんです。
直接修業してたとかそういうわけではないのですが、常連として目を付けて頂いて、お店に来て頂いてちょっと助言頂いて。トータルで2回ほどですが、僕が『柴崎亭』さんに行ったこともあるし、来てもらったこともある…そんな感じで見様見真似で練習してスタートして、現在に至ります」
ーーー凄い、弟子というわけではないのに…!柳瀬さんに何か光るものもあったんでしょうね。他にインスピレーションを受けたラーメンなどはあったのでしょうか?
「『飯田商店』さん、『Japanese soba noodles 蔦』さんなど、挙げきれないほど数々の名店と呼ばれるラーメン店からは沢山影響を受けました。
特に『饗くろ㐂』さんのラーメンは中でも影響を受けましたね。
”料理”として一杯をやられていることの完成度がとても高いですし、旬を活かしたラーメンがやっぱり得意な方で、限定ラーメンに魅力があるお店っていうのが僕にとってはデフォルトで美味しいっていうのは当然大事なことだと思うんですけど、四季を意識した食材を使っているというのは料理人だからこそ成せる技だと思うので、オープン当初はずっと限定ラーメンをやっていました。
最近は一見さんも増えて、その分限定メニューにチャレンジする人も少なくなったりするので、最初は塩らぁ麺と醤油らぁ麺を食べて頂きたいという思いから限定メニューをやっていないのですが、当時はとても影響を受けましたね」
【独占2】「料理ってこんなに格好いいものなんだ」海外生活での発見
ーーそもそも柳瀬さんが料理に興味を持ったきっかけは何だったのでしょう?
「2005年くらいにカナダのバンクーバーに行くようになって、”バイトをしないといけない”ということで居酒屋さんでバイトを始めたら、もう全て手作りする居酒屋さんだったんです。
流行にも乗っていて、お店でかかっている音楽も凄く格好良く、そこで働く日本人でお洒落な先輩がいて。
その先輩に憧れて、いつしかその先輩のようになりたいなと思って、少しずつ料理にハマっていきました。
あとは、バンクーバーの色々なレストランを食べ歩きするようになって、料理人にお洒落でタトゥーが入っていたりヒップホップが好きそうな感じの人が多くて(笑)
見た目も格好いいし、かかってる音楽も格好いい、そして店内の内装も格好いい。働いてるサーバーのお姉さんは綺麗だし…なんか料理ってこんなに格好いいものなんだって衝撃でした。
そして日本で食べるフランス料理とかではなく、ビストロっぽい感じでシェフが豪快に料理を作って、とっても綺麗な料理を出してくるんです。
それに影響を受けて、料理人って真面目に修業する世界だと思っていたけど(もちろん、海外にも修業はありますが)もう少しラフさやカジュアルさのある料理人が格好いいと思ったんですよね。
海外のラーメン屋さんも、格好いいんですよ」
ーー当時はカナダのラーメン屋さんにも結構行かれました?
「色々行きました。内装もとてもスタイリッシュさがあって、『Ramen Break Beats』もその海外で憧れた要素をちょっと入れたいなと思ったんですよね。
DJもやっていたので、今はこの曲かけたら、お客さんいいかな?とか、雨の日はこの曲、天気がいい日はレゲエなど、ラーメンを作りながら自分で選曲しています」
【独占3】「逆境をプラスに変えてやっていく」コロナ禍をきっかけにラーメンの世界へ
ーー多ジャンルの料理人をやられてきた柳瀬さんですが、思い切ってラーメンに振り切ったきっかけは何だったのでしょう?
「コロナがきっかけでラーメンの奥深さに出会いました。
ちょうどコロナに直面した時にカナダにいて、街全体がロックダウンの影響を受けて営業しているお店がなく、かなり深刻な状況で…レストランで働けなくなりました。
もちろん国からの給付金のような形でお金は頂けていましたが、中々レストランで働けないとなると暇だなと…。
家でおうち時間をどう過ごそうかなと考えていた時に、カナダの鶏などを使ってスープを焚いていました。スープを作るのに5時間とかかかるので、いい匂いを嗅ぎながら水や鶏の量などをどうしたら美味しくなるだろうと調整して、スープを作っているときにカナダの小麦粉や日本から小麦を取り寄せたりもして、小麦をブレンドして製麺をしたりしていました。
ーーすごい…!その当時から製麺も自分でされていたのですか?
「そうですね。パスタマシンなどがあったので、それで作っていました。もともとイタリアンで働いていた時にパスタは作っていたので、水分量などはある程度これくらいかな?っていう感覚的なものはありました。
やってみたら面白いかなっていうので始めたらハマってしまいました(笑)」
コロナが落ち着かず帰国することを決意して、コロナの影響を受けづらい飲食店は何か?と探していた時に、『ラーメン屋』というデータを見て、ちょうどハマっていたのも相まって”やってみよう”となりました」
ーーカナダで培った自分のキャリアには一旦けじめをつける形になりながらも、ラーメン業界へ、という意味ではコロナが後押しになったのですね。
「そうですね。”逆境をバネに”じゃないですけど、逆境をプラスに変えてやっていくのも面白いかなと思ったんですよね。
元々コロナが落ち着いたら、帰国しても小料理屋さんというか、高級居酒屋みたいな業態をしようと思っていたんですよ。そこでコースの〆にラーメンを出したり、ランチタイムでラーメンを出したらいいかなって思っていたんです。
炉端焼きのお店で働いていた経歴もあるので、炭焼きの料理をだしながら…っていうのを考えていた時期もありました」
ーー食材は出身である九州の素材が多いかと思うのですが、これはオープン当初から地元の食材を使うことを考えられていたのですか?
「醤油や焼豚、メンマだったりっていうのは福岡のものを使っていて、自分の生まれ故郷のものを東京の方に知って貰いたいっていう気持ちもあって、なるべく地元のものを使うようにしています。
スープの材料の地鶏は『天草大王』を使っているのですが、元々福岡・博多で水炊きに使われていたという歴史があり、生産者の方との繋がりもあって使っています。
あとは、つけめんや限定メニュー用の丼、丼の下に使っているお皿も、福岡にある自分が好きな陶芸家さんの手作りでお願いしています」
ーー2022年には、注目の新店!ということで業界を席巻されていましたが、オープン当初に掲げていた目標などはありましたか?
「お店のある目黒区の祐天寺エリアが、油面地蔵通り商店街という昔ながらの商店街や銭湯があったり、斜め前には老舗の酒屋さんがあったりと、歴史のある街並みなので”地元の方に来てもらえるようなラーメン屋さん”をやろうと思っていました。
なので、目標というよりも”リピートしてもらえる、地元に愛されるラーメン屋になる”というのを目指そうと思っていましたね」
ーーそうだったのですね!現在は先ほど柳瀬さんのお話にもあったように、もう各地からお客さんが来られるお店になられて、新宿御苑前に2号店「Ramen Afro Beats」もオープンされましたが、自分の中で店舗展開というのは最初から考えていたのでしょうか?
「”違うジャンルでラーメン屋さんを出したい”という気持ちはあって、それはスタッフとも話していました。
鶏白湯をそこでは提供しているのですが、地鶏の異なった解釈というか、『清湯(ちんたん)でももちろん美味しくできるけど、白湯(ぱいたん)にしたらより味の濃い、出汁の旨味を感じる白湯をイメージしてやったら面白いかな、とか思っていました。
その時に、ちょうど知り合いの不動産の方から現在の物件を紹介して頂き、かなり条件が良かったんですよ。
初期投資があまりかからずにできるという魅力もあって、オープンに至りました」
【独占3】オープン1週間前にスープの方向性を切り替えた!?
「実は…オープン1週間前に”鶏清湯をやろう”と方向性を切り替えたんです」
ーーええっ!?!?!1週間前ですか!?元々はどの方向性でいこうとしていたのです…!?
「真鯛をメインにした、魚のラーメンをやりたくて…真鯛をベースにした清湯スープで考えていました。
スープドポワソンやブイヤベースのような真っ赤なスープのものとクリアスープのもので、紅白でやろうと思っていました。
前者は少しパンチがあるような、後者は毎日食べても飽きないようなものでやろうとしていたのですが、
中々仕込みが大変で。店内が凄く魚臭くなってしまって…
鶏清湯であれば臭いも気にならず、フレンチやイタリアンでも絶対に使う素材で、今までのキャリアで培ったスープの取り方を応用が利くのではないかというのと、”飽きの来ないラーメン”を作るには鶏の醤油・塩がいいかなというので方向転換を決めました。
ただ、地元の方に愛されるという意味では全然いいと思うのですが、鶏清湯は既に美味しいお店がいっぱいあるので、今更鶏清湯を出しても勝てないと思ったんですよ。
TRY(東京ラーメンオブザイヤー)の受賞なども、変わり種とかの方が上に行きやすいかなとか…」
ーー地域に根差したお店を目指しながらも、そこまでしっかり視野に入れていたんですね!(笑)
とはいいつつも今や看板メニューは醤油、ですもんね。
「一応…!そうですね。なのでオープン当時は鶏清湯の中で何か違ったものができればとは思っていました。
鶏清湯でも、フライドエノキや鶏油にブラウンマッシュルームを入れて香りをつけたり、ちょっとした洋食のエッセンスを取り入れるというところには、重きを置きました。
あまり洋食っぽくなりすぎるとダメなのですが…焼豚の火の入れ方とか、スープの作り方ひとつにおいても、ひき肉を沢山入れてコンソメ風に仕上げたフレンチの技法を用いたりしています。
ただ、エスプーマなどは限定でしか使わないとか、はみ出しすぎないように意識していますね」
ーーなるほど。ちなみに、ブレビさんらしい”フライドえのき”のトッピングの生まれたきっかけは一体…?
「醤油ときのこって凄く相性がいいと思っていて。
例えば椎茸を焼いて、醤油にバターをかけたらそれだけで美味しかったりとか、あと醤油ラーメンにトリュフを掛け合わせていたり、ポルチーニ茸のペーストとかあるじゃないですか。
美味しいっていうのは分かっていたんですけど、『なにか違った形で面白くて、あまり値段も高くないもので驚きがあるものをできないか?』と模索して。
色々試した中で一番相性が良かったのが『フライドえのき』だったんです」